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忠誠心の視覚化

先日のサブとのセッション記録。きっかけは私のブログだったようだ。更新した数日後、「遠くへ行ってしまいそうで」と、そんな言葉が添えられた短い予約リクエストが届いた。はっきりとした理由は書かれていなかったけれど、どこか不安定で、私のことを見失いそうな焦りのようなものが滲んでいる。何よ、まるで私のことを手の届かない場所へ飛ばしてしまうかのようなニュアンスじゃない。何を心配しているのかと冗談まじりでツッコミたかったけれど、「大丈夫よ」とだけ返信し、そのままセッションの日程を決めた。

先に部屋に入っていたサブは、廊下に響くヒールの音で察したのか、部屋前に着くや否やゆっくりとドアを開けてくれる。が合った瞬間、ほっとしたような笑みを見せた。けれども私を前にするとスイッチも入るのか、うまく言葉が使えなくなり、ペコペコと頭を下げるだけ。飾り気のない切実な喜びの気持ちが自然に伝わってくる。

場所は、いつもの綺麗なホテルの一室。都会に点在するわずかな静寂。重たい扉を抜けると、冷えた大理石調の床が靴底に音を返し、外の蒸し暑さとは完全に切り離された空気が迎えてくれる。私にとって心地よい温度に調節してくれている。サウナに入って“整う”、そんな表現があるけれど私にとってはこの状態がまさに整う空間。声を張る必要も、余計な緊張を重ねる必要もない。

私がソファーに腰掛けると、手土産のゼリーと桃を机の上にセットし、冷房で冷えた床に正座する。そこに至るまでの動きに迷いはなく、待ち望んでいたことがそのまま身体に染み込んでいるよう。いつものようにセッション前の軽い談笑をする。


この日は、私の足をマッサージさせてあげるところから始めた。一生懸命に指を動かし奉仕するサブ。懸命な従属の気持ちの側、焦るような、置いていかれたくないという気持ちが、微かな圧として伝わってくる。私は何も言わず、ただそれを見ながら、動作のひとつひとつを読み解いていく。
支配だとか忠誠心だとか従属だとか。BDSMではよく聞くワード。私も簡単にこれらの言葉を使ってしまうけれど、結局、言葉というものは概念でしかない。目で見えない、形を持たないものを、彼を含めた私の奴隷たちは、確かな行為として見せてくれる。対して私はどうか。数年までの私は、確かな支配を行為として示すことができているのか分からず、SMの道で迷子になっていた。光の方向が分からない奈落の暗闇で、リードを握りながら正しいと思う方向を盲目に進んできた。確実に従属を見せてくれるサブを見て、ようやくこの道こそが正しかった、そう思える。私の奴隷たちのような直接的に表現できない者たちは沈黙の中に言葉を隠している。彼らもまだ認識できないような言葉を。私はそれを踏み込むわけでもなく、感じとって言葉に翻訳し、想いを互いに理解する。ただそこに留まり続けるしかない主従関係。けれど私はその距離を、手綱を握って着実にコントロールができるようになったと感じる。


静かな部屋に、冷たい床。微かに響く空調音。ここで交わされるのは、言葉よりも強烈で、視覚化できるほどの主従関係。それでもサブは床に頭をつけながら私へ乞う。
「私の忠誠心を見ていただきたいです」
はいはい、お前の忠誠心が如何なるものか、もう分かっている!それでも、“その想いの強さを見ていただくため”、そのために、今日もまた私の足元へ傅く。

忠誠心の強さを確かめるには何がいいか。密閉されたホテルの一室。安全で、外部からの干渉もない環境下。選択肢は限られている。拘束、命令、沈黙、視線。その中で最も合理的なものは、痛みだと思う。

身体的な加虐と被虐を求めるサドマゾのSMを好まないドミの私だからこそ、フラットな気持ちで痛みを手段として利用する。目的は完全支配。支配と従属の関係性がどれだけ深く、静かに確立されていくか。目に見える傷を超え、その内部に宿る、見えるはずのない忠誠心をいかに育てて視覚化させてゆくか。反射的に逃げたい衝動に耐えられるか。身体を丸ごと差し出して、私の支配に身を委ねることができるか。そこに、相手の忠誠心の質と深度がはっきりと浮かび上がる。


私がまず選んだのは赤の一本鞭。一番長くて重い、けれど弱くも強くも打つことのできる魅惑の溢れる大好きな鞭。
鞭が空を裂く音。皮膚の上に正確に落ちる一打。最初の数発は毎回、身体が勝手に跳ねてしまう。やがて、何発目かからは音の美しさに意識が変わってくる。良い音が鳴った、とわかる瞬間がある。皮膚の表面ではなく、もっと深いところに響く音。そして奴隷の呼吸音。思わず「…い!」と声を上げてしまう時もある。続けて「ありがとうございます!…ああ…幸せです…」と続ける。思わず出てしまう反射の嘘を、懸命に本心で上書きする。

赤く腫れ上がった太腿や尻に、熱と汗がにじんでいく。泣いてなどいないはずなのに、目尻にじんわりと涙が浮かぶ奴隷。鞭の熱さ、打たれる嬉しさ、従属する安心…。全部が混ざって、どれがどれだかわからなくなってしまう。薄く汗を浮かべた背中、真っ赤に染まった臀部、呼吸に合わせて震える肩。その一つひとつが、黙って従うという姿勢を表している。その沈黙の中に、忠誠の重さがある。

そして、縄。その音が聞こえただけで、呼吸が浅くなる奴隷。今日は生成りの縄。両腕が封じられた瞬間、もう逃げられないのだと、理屈ではなく身体が知るのでしょう。縄が滑って、締まって、皮膚に食い込むたび、どこか嬉しそうに目を瞑り夢心地のよう。
そして極め付けのセリフは、「小さくしていただいて嬉しいです…。」とのこと。

縛っていると、“梱包”という表現がしっくりくる。丁寧に、きつく、小さくまとめてゆく過程に、安心と興奮が交互に押し寄せ震えが止まらない奴隷。ギチ…ギチ…と縄が鳴るたび、自分の居場所を深目てゆく。動けないという事実が、これほどまでに愛しいのか。呼吸だけが自由で、あとはすべて預けられるという幸福。痛みや快楽などとは違う、支配により自分の輪郭を失う感覚。身体が身体でなくなっていく。意思も言葉も、私へすべてを委ねてしまうことで、たまらなく満ち足りてしまう。

毎回同じように見えて、まったく同じにはならない。同じ手順、同じ部屋、同じ道具を使っていても、身体の反応も、皮膚の熱も、微細に違っている。どれだけ赤く、深く刻んでも、だからこそ自ら進んで忠誠心という掴めない概念を確かめたくなるのでしょう。私の手によってつけられた印を、誇りとして身に刻む姿を、私は何度も見てきた。願わくば次も、またその次も、同じように私の前に膝をつくのでしょう。締め上げられた縄の中で、彼は何も言わず、ただ呼吸を続けている。その沈黙こそが、もっとも誠実な服従の証。言葉よりも、形よりも、この無言の時間にこそ、支配の意味が凝縮されていると思う。私はその静けさを、何より大切にしている。

しばらくの沈黙の時間を楽しんだ後、縄の結び目に指をかける。ひとつ、またひとつ。静かに縄を体に滑らせながら、順を追ってほどいていく。縛り上げるときと同じくらいの集中。封じていたものを解くように。身体を締め上げていた縄を、少しずつ緩ませ、皮膚の表面に残した痕跡が露わになってゆく。綺麗に連ねた麻縄の繊維の跡、赤く色づいた鞭の跡。どれもがまだ熱を持っていて、肩に手を添えただけでもわずかに身体が跳ねる。
解かれていく身体は、すぐには自分のものに戻らないのでしょう。縄の端がすべて抜かれた瞬間、奴隷の身体は、まるで自分の重みを久々に思い出したかのようにぐったりと倒れ込む。幸せそうな表情。血流が戻るたびにしびれが走り、縄痕の一つひとつが新たな感覚を訴えてくる。身体に残った跡の全てが、“視覚化された従属の証”。

使い終えた縄を巻いて戻しながら、大丈夫かと笑顔で尋ねる。縄にはまだ体温が残っていて、湿り気を帯びている。ゆっくりとそれを巻いて元のように片付ける時間もまた、私にとっては「支配の終わり」を整えるための大切な時間。今日、またひとつ深くなった奴隷の忠誠の気持ち。その証をプレゼントとしてをもらったような気分。楽しい時間をありがとう。

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