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赤い拘束 Red bondage

緊縛を取り扱う作品などでよく聞く言葉に、「縛られることで自由を感じる」といったフレーズを耳にします。縄の拘束によって身体の自由が奪われていくのに、なぜ自由を感じるのでしょう?なんなら私たち女王様は、奴隷の自由を奪うために縛るのにね。
縛られて自由を感じてしまう、そんな感覚は、縛り手としてしか機能できない私には体現できないとわかっていますが、理屈だけは理解したい、そう日々思いながら緊縛を練習しています。瑣末な経験の中で、ある程度の理解を言葉にするなら、「自由」とは精神的自由。縛られる側は、縛る側に身体の自由を預けているものの、精神的に他なる意味が含まれている。

人は日々、「〜しなくてはいけない」といった義務や責任、役目など、逃げられないミッションが重くのし掛かっている。さらに誰しもが大なり小なり、選択せねばならないという、決断のストレスがあるでしょう。それらは全て、目に見えない精神的な重圧であり、どこへ行くか、何をするか、役目の中でしか選べない決断の連続で、もはや身体の自由の大半を制限されている。精神的重圧、身体の自由の制限…。そこから一時的に解き放つのが、縛り手の施す縄技ではないかと。縛ることは、縛る側の“手の内に入る”ことであり、相手に決断の自由を委ねるということ。身体の自由が効かないのだから、決断のしようがない。どんな身体のフォームで縛り上げ、どう展開していくか、全て縛り手が決める。要は、身体の自由を奪ってしまうことで、抑圧されていた日々の役目などから精神的に解放する。だから縛られる程、自由になれたような感覚になるのではないかと、私は思っています。縛り手の縄には、日々の精神的重圧をも跳ね除けてしまう、強い効力がある。そして、縛りを受ける側は、身体で感じとる感覚だけでなく、精神的な感性を働かせているのでしょう。

緊縛とマミフィケーションは、手段は違いますが、縛ることで精神的に解放する意味において似ていると思っています。

今回のセッション記録は、東京でも1度お会いしたマミー奴隷とのセッション。2度目のセッションは、大阪で。実は今回の大阪調教は、このマゾきっかけでした。しかしながらこの迷子犬は、1度目のセッションの後に、私の逆鱗に触れ、危うく捨てられるにまで至った出来損ない。ひたすら言葉の足りない迷子犬。言葉が足りないというのは、想いが足りないのと同じ。唾を吐きかけ見捨ててやっても良い、その程度のマゾ。捨ててあげたほうがマゾの為だったかもしれない。しかしながら、言葉をうまく使えない純真なマゾだからこそ、私の調教が必要なのかも、と考えがよぎりまして。なんなら、私のように流暢に言葉を使う人間の方がアブないですからね。言葉の下手な人間の方が、私にとっては実は心地良いはずなのです。彼の無骨な謝罪の文言を信じてみようという結論に至り、はるばる大阪まで足を運んだのでした。

前回通り暖かく彼を迎えるも、どこかぎこちない様子。すると、シャワーに向かう手前で「この前はすみませんでした」と目を合わせずに明後日の方向へと言葉を投げた。宜しい。セッションを始めてから伺いましょう。
シャワーから出てきても、命令をしないとご挨拶ができないマゾ。一度私のセッションを受けているのなら心得ねばいけない。まずは私に心からのご挨拶をして、忠誠心を見せるということ。それなのに、調教よろしくお願いします、しか言えない。足りない頭で考えた瑣末な言葉。1度私の支配下に入っているのだから、今回の“調教”は重みが違うはず。
私の支配下。それがどれほど身体的に苦しいか。半端な覚悟では、私はお前を奴隷と認めない。うまい言葉を使えない出来損ないなのだから、せめて、心だけは気高い忠誠心を養いなさい。厳しく叱責し、それでもなお懸命に私へ調教を乞う哀れな迷子犬。一度私の支配下に降ったことで、私の苦しい支配下がいかに心を和らげるものであるか味を知ってしまったのでしょう。

きっとお前は私に罰されたいのではなくて、私に許されたいのでしょう。
いくら鞭で叩いて罰したところで、それは私のしたいことではない。どうしたら哀れな迷子犬を救えるか、より立派な奴隷へと導けるか、それを考えれば、ひとつひとつ奴隷の作法を躾けるのみ。途方もない時間が必要になる。
お前が何を欲しいか、何をしたいか、そんなのは不要。欲を捨てなさい。奴隷である前に人間。人間として私へ忠誠を誓ってから、奴隷として貶めていただける。立派な人間であるから奴隷に下る。苦しくも幸せ。これらが表裏一体にあるとわかった時、私との絆が結ばれるのよ!奴隷への道は修行の道だと思いなさい。

身体の自由を奪いながら、奴隷の作法を教えていく。有無を言わさず手足を拘束して、小さな穴を犯す。懸命に耐えているのに、体は反応するなんて切ないものね。けれどお前はこの程度の拘束では足りない。

前回とは異なり、真っ赤な拘束。私の支配下いると目に見えて分かる色。真っ赤に染め上げられ、抵抗するなんて考えすらよぎらない、哀れな生き物。さぞかし心地よいでしょう。お前のような弱いマゾは常に管理が必要。私に自由を奪われ、身体の自由がきかなくなる度、不自由になることがお前にとっての生きる幸せ。

無理やり小さな口に、ペニバンを捩じ込む。涙を浮かべながら嗚咽するマゾ。餌を貰うって苦しいのよ!マゾという生き物は、身体の自由を奪って、初めて生物として私と張り合える。そんなふうにしみじみ思い耽ってしまいました。

私が身体の自由を奪うたび、きっと今よりも自由になれる。私の支配下に降り、心を尽くす。その度、許されたような気分になったことでしょう。何がなんでも食らいつこうとする姿を見せてくれて、私もなんだか幸せをもらいました。

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