胎児のように委ねる、安全な牢の中で
奴隷たち、お久しぶり。最近は本当にバタバタしていて、ブログを更新できずにいたので、心配してくれていた方もいたかもしれませんね。ようやく少し落ち着き、こうして筆を取ることができています。
投稿できなかったこの期間、特に力を注いでいたのが緊縛ショーの準備でした。実は色々な事情が重なり、当初ゲスト出演の予定だった会場を直前で変更せざるを得なくなり、主催としてガチ自前で新しいスタジオを押さえ、当日の運営まで自分たちで調整する、という文字通りのてんやわんや。そんな中でも、可能な限り練習の時間を確保し、ショーとしての演出や構成を何度も練り直しました。それでも、当日足を運んでくださった皆様や、準備や運営の手伝いに駆けつけてくれた方々のおかげで、無事に幕を開けることができました。本当にありがとうございます。練習に付き合ってくれた馴染みの受け手のマゾも、本当にありがとう!後日、写真とともにショーの詳細も改めてまとめてお届けしようと思っていますので、楽しみに。
さて、今日はずっとお待たせしていた定期サブとのセッションの記録。かなり長い間待たせてしまいましたね。きっと、ブログがいつ出るかと待ち遠しかったことでしょう。思えば、今回の定期セッションは私たちにとって特別でした。
BDSMの世界には、【加虐/被虐を意味するサド/マゾ軸】と、【支配/服従のドミ/サブ軸】があることはご存知の通り。私のこれまでのコラムや言動を追ってきた者たちなら、私が位置するのは「ドミ/サブ軸のドミ」であることも、もう周知の通りでしょう。SMにおいて、どの軸に重きを置くかは人それぞれだと思うのですが、個性や嗜好、欲求の在り方によって傾向が見えてくるでしょう。ざっくり言ってしまえば、サド/マゾ軸は身体に、ドミ/サブ軸は精神に焦点を当てた区分けと言えましょう。つまり、同じ「縛る」「叩く」という行為でも、そこに込められる意味や価値、想いの質はまったく異なるわけです。
私は常々、「精神性を重んじるドミ」として振る舞ってきました。それは単なる命令や痛みの与え方ではなく、相手の心を読み、揺さぶり、服従の深みを引き出すことに喜びを見出す、ということです。しかし、理屈は理屈。現実のセッションは、理論通りに進むとは限りません。そんな前置きをしたところで、先日のセッション記録に移りましょう。
あれほど「精神性を重んじるドミ」と自負していた私をして、どうした、この奴隷の有り様は。

両方の太ももに青あざを浮かべ、お腹にも赤く染まった痕を残すくらいのスパンキング。手加減は一切なし。けれど、ただ痛めつけるためにスパンキングを施していないというのが、私の流儀。叩くのは手段でしかない。目的は全くの別である。叩くたび、奴隷の息遣いや身体の震え、心の動きを丁寧に読み取りながら、痛みと忠誠の境界線を絶妙に揺さぶる。
痛みの痕がありありと目に見える形として残る一方で、精神はその何倍も掻き乱され、私のコントロールできる世界の深みへと沈んでいく。私が残してあげる奴隷の証は、ただの物理的痕跡ではなく、奴隷がこのセッションをどう受け止め、どれほど私に身を委ねたかの証。手ごたえのある痛みに声を漏らし、私を見つめるその崇拝の眼差しこそ、私にとっての悦びの源なのです。

鋲のついた鞭や、クリスタルケイン、強くて赤い一本鞭。本日初めての一発目を打ち下ろす瞬間、奴隷の心には確実に恐怖が走るでしょう。高く響く、気持ちの良い快活な鞭の音。歯を食いしばり、必死に耐え忍ぶその姿。見る者によってはそれだけで十分な“悦”かもしれません。けれど叩くこと自体に私は何も感じない。鞭は手段であり、精神の揺さぶりと服従の確認のための道具。このサブの心理もきっとそう。私への従属心を自分で確かめてみたい、そんな健気な気持ちが伝わってくる。
恐怖を与えたその先にあるのは、必死に耐え忍び私を見上げる奴隷たちが滲ませる忠誠心。この奴隷は私との強いつながりを理解しているけれど、理解しているなら体現させてあげたい。私を慕う気持ち、私に身を委ねる忠誠心を、鞭の一撃ごとに必死に握りしめながら受け止め、飲み込もうとするその姿勢こそが、私にとっての真の悦び。痛みを超え、恐怖を超えて示される服従の深さに、私はSMの面白さを感じるのです。

鞭で心を揺さぶり、忠誠心を確認したそのあと、次に手に取ったのは麻縄。上半身から足へと順を追って縛ってゆく。
別々に縛り上げた上半身と足を最後にくっつけるようにまとめ、胎児のように丸まる奴隷の身体。縄で締め上げられるその姿は、ただの拘束ではなく、外界から隔絶され、まるで私の存在の中に精神を沈める儀式のようなもの。身体が丸まり、呼吸が浅くなり、心が私の存在に沈んでいく奴隷。外界の喧騒や余計な思考は遮断され、ただ私の意志とその導きに身を委ねることで、生まれ変わるように彼の内面は再構築されていく。単なる服従ではなく、精神的な“再生”の瞬間を目の当たりにしていることがわかる。私の前でこそ、彼は弱さも恐怖も含めて本来の自分をさらけ出せる。ここで初めて、“安全な支配下”とはこのことか、とわかることでしょう。

セッション後には毎回のコーヒータイム。この奴隷は私とのコーヒータイムを楽しみたくてデザートを持参してくれる。嬉しいことに、またメーカー様より撮影のオファーをいただき、実は今、絶賛ボディメイク中なので、甘いものは少しだけ控えてます。他の奴隷たちは、食べ物の献上はお気遣いなく、でいいからね。

本日の気分はブルーのボンデージ。とても素敵な色でしょう。
のびのびとセッションさせてもらえて本当に楽しかった。いつも幸せな時間をどうもありがとう。
