北海道弾丸旅。網走監獄からたどる囚人と開拓の歴史
先日、北海道へ弾丸で旅行に行ってきました。
論文を書き終え、提出したその足で向かった北海道。本当の弾丸旅です。なぜそんなに急いで行く必要があったのかといえば、北海道は何かと縁のある場所なのです。まず、仕事の関係でお世話になった友人に会いに行きたいと思っていました。それに、私のサブ・マゾたちは何かと北海道出身が多い。加えて、先日も北海道から来てくれた女の子のブログを書きましたが、どうやら北海道は私にとって縁の深い場所のようなのです。長らく「行かなくてはいけない場所」のような気がしていました。
そして、今年に入ってから急に『ゴールデンカムイ』にハマりまして。何気なく見始めたのですが、漫画は2周、アニメも第5期まで3周してしまい、作品の考察はもちろん、日露戦争後の日本史や北海道開拓期の歴史まで調べ、すっかりその世界に浸かってしまいました。
何より「囚人」というテーマは、私が大学院で研究している中国刑罰史、とりわけ「刑徒(けいと。古代中国で刑罰として労役に従事させられた人々)」にも関連しています。研究対象をより立体的に理解していくうえでも、この作品との出会いは、今の私にとって運命的なものに感じられました。それに、作品には魅力的なキャラクターが多く、特に「辺見」や「姉畑」のような、おもしろ性癖を患うキャラクターについては、いつか女王目線で考察コラムを書いてあげたいですね。ちなみに私の最推しは、やっぱり鶴見中尉です。
そんなこんなで、北海道への旅は、いつか必ずしなくてはいけないものとして、私の心の中にずっと引っかかっていたのです。そんな私の今回の弾丸旅のテーマの一つは、「囚人」の歴史を考えること。タイムリーなことに、2026年5月、月形町の篠津山霊園にある囚人墓地で、墓石が何者かによって倒される事件が起きました。倒れた墓石は地元の関係者によって復旧作業が行われたようです。(月形ホームページ「篠津山霊園『囚人墓地』の墓石の復旧について」)被害に遭ったこの墓地に眠っているのは、明治時代から大正時代にかけて樺戸集治監(後の樺戸監獄)で服役し、その地で亡くなった囚人たち。彼らは、道路の開削や農地の開墾など、北海道開拓の基盤となる労働に従事させられました。開庁から廃監までに、事故や病気などによって1,046人の囚人が亡くなり、この地に眠るのは遺族に引き取られることのなかった人々なのです。(月形町ホームページ)
なぜ、今になって彼らの墓石が倒されたのでしょうか。そこに囚人たちへの何らかの恨みがあったのか、それとも別の理由があったのか、知る術はありません。
今回の旅で、私はまず羽田から女満別空港へ飛び、網走監獄博物館を訪れました。
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館内の展示や関連資料によると、網走では、道央とオホーツク地方を結ぶ中央道路の開削を進めるため、多数の囚人が送り込まれましたそうです。北海道の厳しい寒さ、粗末な食事、休息の不足、病気や事故。現在では車で通り過ぎることのできる道路の下には、過酷な労働を強いられ、命を落とした人々の歴史が積み重なっている…ということなのでしょう。
- 網走監獄の概要
- 樺戸集治監
- 貴重な資料
(上記写真は、長押しでキャプションを見れて、タッチすると画像が開きます。)
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ゴールデンカムイで描かれたままの場所で大興奮。
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大興奮の傍ら、博物館網走監獄の展示を見ながら私が考えていたのは、そこで働かされた人々を「囚人」という一つの言葉だけで括ってよいのだろうか、ということでした。話を樺戸の囚人墓に戻すと、そこに埋葬された人々は、決して一様に「単なる犯罪者」と括れる存在ではありません。当時、集治監に収容された人々の中には、政治的な事件によって処罰された国事犯もいました。現在とは法制度も社会の価値観も異なる時代です。『ゴールデンカムイ』に出てきますが、『勝てば官軍、負ければ賊軍』というスローガン。そんなの当時の政治的倫理のもとで、「賊軍」となった人々の中には、囚人となり、開拓労働に従事させられ、命を落としてその地に埋葬された者もいました。歴史に「もしも」があるなら、その「賊軍」たちが作った歴史という道筋もあったのかもしれません。何を犯罪とするのか、誰を罪人とするのか。それは、時代や政治体制によって簡単に変化してしまうのです。
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そういうプレイにしか見えない、多頭飼いの看守さん。後ろに組んだ手にはしっかりと手綱が握られていました。
- 樺戸監獄の懲罰房。
- レンガの独房
- よく見ると囚人がぶち込まれている
- ぶちこまれた囚人
- 作業をしている囚人の人形。そして天気が最高。
- テンション上がる刑具
時代を大きく遡り、場所を中国・後漢時代の洛陽へと移すと、そこにも刑徒たちが埋葬された大規模な墓地があります。何を犯罪とするのか、誰を罪人とするのかという問題は、私が研究している中国・洛陽の刑徒墓にもつながると考えているのです。私の扱う洛陽の刑徒墓地から出土した磚(レンガ)には、埋葬した刑徒の名前、刑名、死亡した年月日などが記されています。しかし、そこに刻まれた情報は、その人物の人生の最後に付された、制度上の記録にすぎません。私は、洛陽に葬られた人々の身分や経歴も、決して一様ではなかったのではないかと考えています。単なる、盗みなどの一般的な犯罪を犯した人だけではなく、政治的な争いによって処罰された人、官吏としての経歴を持ちながら刑徒となった人、社会的な混乱や権力関係の中で刑罰制度に組み込まれた人もいたのでは、と考えています。(これを証明していくのが私の研究なのですが、まだまだその道は遠いもので頭を悩ませているところ。)
今回、北海道の囚人労働の歴史に触れたことで、囚人という制度上の分類だけで捉えるのではなく、その内側にいた一人ひとりの出自を考えてみたいという思いが、より強くなりました。そんなことを考えながら網走監獄をあとにし、そのまま札幌へ移動。夜にホテルへチェックインしました。網走から札幌までの移動距離は、やはり北海道。本当に広い。地図で見る感覚と実際の距離感がまったく違います。
翌日は、今回の旅のもう一つの目的だった友人との再会。北海道に住んでいる友人とランチをしました。研究のことを考えながら一人で移動していた時間から離れ、友人と話しながら街を歩く時間は、良い気分転換になりました。ランチのあとは、さっぽろテレビ塔に登り、札幌の街並みを眺めました。
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その後も近隣を案内してもらい、街を歩いていると、建物や旗など、さまざまな場所に星のマークが使われていることを友人が教えてくれました。サッポロビールの煙突にも、同じような星があったと思います。この星は、北海道開拓を担った開拓使のシンボルである「五稜星」。北極星をモチーフとしており、開拓使麦酒醸造所をルーツとするサッポロビールにも、その意匠が受け継がれているそうです。それまで何気なく見ていた星のマークも、由来を知ると急に違ったものに見えてきます。開拓を象徴する星を眺めながら、その街や道路がどのような歴史の上につくられてきたのか。前日に網走監獄を訪れていたこともあり、目の前の札幌の風景が、単なる観光地とは少し違って見えました。それに札幌は都会、というイメージでしたが、高層ビルのすぐ背後に山が迫る景色に驚きました。
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最後は友人といろいろな話をしながら札幌を歩き、普通に観光も楽しみました。研究、ゴールデンカムイ、囚人史、友人との再会。一泊二日にしてはかなり濃い北海道弾丸旅でした。やっぱり行ってよかった。今回は網走と札幌だけ。時間が足りなかったので、次に北海道へ行くときは、ほかの土地もゆっくり回りたいと思います。
また、私の研究については、京都のとある学会にて報告予定です。一般の方も聴講できるようですので、詳細をこちらでも公開するかもしれません。